久山の歴史探訪
IMG_3618

暦の上ではすっかり冬ですが、この時期にしては、暖かく過ごしやすい日々が続いています。レスポアールの裏庭にある紅葉が真っ赤に色付き、根元の山茶花がピンクの花をつけています。事務室の小窓から見ると一幅の絵のようです。西高東低の冬型の気圧配置になったことを示す冷たく強い北風「木枯らし1号」も今年はまだ観測されていません。本格的な冬の到来はもう少し先のようです。
先日、歴史講座「久山の歴史探訪」全5回が終了しました。久山町の猪野・山田・久原の各地区の歴史を学び町の良さを再発見しようという講座です。教育委員会の専門職のお二人と歴史文化勉強会の皆様にご協力いただき、前半3回が座学、後半の2回は実際に町を歩き史跡を訪ねました。最終回の「山田を歩こう!」の日は、今にも雨が降りそうなどんよりした曇り空でしたが熱心な受講生30名に参加していただきました。山田は、9世紀から14世紀にかけて多くの山林寺院で栄えた首羅山の麓にある田園地区です。まず、博多聖福寺の末寺「清谷寺(せいこくじ)」を訪ね、平安時代に造られた仏像を間近に拝見し、ご住職からお話をいただきました。平安期の仏像が4体もあるお寺は県内でも珍しいそうです。中でも大人とほぼ同じ大きさの地蔵菩薩立像は、一本の木から彫りだす一木造りという手法で造られ、大きな頭部とがっしりした体つきは平安時代もかなり早い頃の仏像の特徴を備えているとのことでした。次に「日本書紀」の神功皇后の章に記載されている「審神者神社(さにわじんじゃ)」を訪ねました。審神者(さにわ)とは神様のご神託を人々に伝える人のことです。自宅の敷地内にあるその神社を代々守ってこられた歴史文化勉強会の会員の方に詳しく説明していただきました。九州に来た仲哀天皇は当時中央政府と対立していた熊襲と戦い亡くなります。熊襲ではなく新羅を討つべしという神託に背いたため夫の天皇が亡くなったと考えた神功皇后が、どの神様の祟りかを明らかにするために呼び寄せた審神者がこの神社の祭神だそうです。最後に神功皇后が自ら神主となって建てたと言われる「斎宮」を訪ねると、お隣にある山田小学校の6年生全員が我々を待ってくれていました。彼らが学んだこのお宮の歴史を私たちに伝えることを通して共に学ぼうというのです。教育委員会のお二人が子どもたちの歴史学習の一環として学校に呼びかけたのです。お参りの作法から神功皇后にまつわる歴史などをみんなで手分けして発表してくれました。さらに、素晴らしい合唱と山田地区の歴史を素材にした手作りの絵葉書を子どもたちが受講生一人ひとりにプレゼントするというサプライズまでありました。
子どもたちの堂々とした誇らしげな発表に、受講生からは涙が出るほどうれしかったという感想も聞かれました。彼らがプレゼントしてくれた絵葉書をレスポアールのロビーに展示いたします。首羅山の出土物の展示と併せて、久山の歴史をゆっくりと味わってみませんか。

久山町文化交流センター
センター長兼図書館長 太田隆晴