手に手をとって
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畦道のあちこちで真っ赤な彼岸花と青々しい稲の葉が鮮やかなコントラストを見せていましたが、いつの間にか曼殊沙華の異名が似合う独特の形状をした赤い花弁がその勢いを失い、稲も穂の黄金色が目立つようになってきました。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り朝夕はめっきり涼しくなり過ごしやすい日が続いています。彼岸は、昼と夜の時間が同じになる春分や秋分の日を中日として前後それぞれ三日を合わせて七日間をいいます。わが国ではこの間にご先祖様を供養するという習慣がありますが、そもそもの仏教の教えは、迷いや煩悩の多い私たちの住む世界(此岸)からその向こう岸にある悟りの世界(彼岸)に至るための修行の期間のことだそうです。
お釈迦様の時代から二千数百年経った今日、急速な科学技術の進歩によって、私たちの日々の暮らしを豊かにする様々な便利なものが作られています。一方で、何万人何十万人という平穏に暮らしている罪のない普通の人々を、一瞬にして殺戮する武器も作り出しました。そして、今日、その原・水爆という武器の保持・不保持が国際社会における発言力を左右するという現実に、世界の多くの良心がとまどっています。また、世界のあちこちでテロや紛争が後を絶たず、多くの人々の命が奪われ、あるいは住むところを追われ、行き場を失った難民が次々とうみだされています。仏教国であるミャンマーにおいても、少数民族のイスラム教徒を武力で国から追い出そうとしている自国の状況を、ノーベル平和賞受賞者で実質的な国の指導者であるアウンサンスーチーさんでさえ、収拾できずにいます。我々人類の煩悩や迷いは悟りに向かうどころかますます混迷の度を深めています。
私たちは、知識の獲得とその活用による生活の向上には多くの時間とエネルギーを割いてきましたが、それ以外の人間にとって大切なことにはあまり力を注がずに来たようです。手に入れた富を再配分する「布施」や自らの行いを律する「持戒」寛容の心を持ち相手を理解する「忍辱」便利さに安住せず努力する「精進」挑発に乗らず冷静沈着な不動の心を持つ「禅定」そして、表面的な知識ではなく物事の本質を見抜く「智慧」を磨くというお彼岸の六つの修行は、今日の混迷する国際関係の中で、改めてその意義を考えてもよさそうです。
10月の14日15日に開催される「祭りひさやま」のテーマは「ハンド・イン・ハンド~手に手をとって~」です。祭りに参加することを通して、みんなで仲良く住みよいまちづくりを目指しましょうという願いが込められています。「Think Globally, Act Locally」(地球規模で考え、身近な地域から行動を起こそう)という環境問題を考える際の大切なフレーズがあります。久山町という小さな町の取り組みですが、世界中の人々が手に手を取って暮らせる人類の未来への展望を抱きつつ「祭りひさやま」の成功を目指します。

久山町文化交流センター
センター長兼図書館長 太田隆晴