情けは人の為ならず
4月コラム写真

桜の季節になりました。暖かい春を待ちかねたかのように一斉に咲き誇り、咲いたかと思うとあっという間に散ってしまう桜の花は、昔から私たちに様々な思いを抱かせてきました。
 
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

古今和歌集 在原業平

 

久山では、毎年3月の最後の土曜、日曜は伊野天照皇大神宮の下を流れる五十鈴川沿いで「猪野さくら祭り」が催され、多くの皆様にお越しいただいております。今年は残念ながら桜の開花が遅れていますが、満開の時期には久山のあちこちで淡いピンク色の桜の花が人々の目を楽しませてくれます。レスポアールの南側を流れる新建川沿いの土手にも見事な桜並木が続き、散歩する人々の心を浮き立たせてくれます。
この時期は、卒業、入学、転勤など別れと出会いの季節でもあります。新入学生や新社会人の皆様は、期待に胸を膨らませながらも、幾許かの不安を抱えてのスタートだと思います。ほとんどの人は新しい仲間を温かく迎えようとしているはずですが、何故かいじめによる不登校や自殺のニュースが後を絶ちません。そのような不幸な出来事を何とかなくしたいものです。私には、近年、社会における人間関係が希薄になる中で、社会全体のいじめへの抑止力が低くなってきているように思えてなりません。

「情けは人の為ならず」という言葉があります。ある調査によると、国民の半数近くの人々がこれを「情けをかけるのはその人のためにならないので情けをかけないほうがよい」と解釈しているそうです。本来はこの言葉は「情けをかけるのはその人のためでなく自分自身のためなのだよ(情けはいずれ自分に返ってくる)」という意味です。本来の意味を離れた解釈が増えてきている背景として、最近このような昔風の言葉遣いをしなくなってきていること以外に、いくつか理由があるように思われます。一つには「情けをかける」という言葉の語感として「憐れみ」の感情をイメージしてしまい「憐れみ」はかけてもらいたくないし相手にかけるのもあまり良いことではないと思っているようです。「情け」を憐れみではなく、人情、思いやりという言葉のイメージで捉えると本来の意味に近づけるはずです。また、人間は「自立」すべきであり、情けをかけることはその人の自立の妨げになるという考えの人も多くいるようです。「自立」するためには他人に頼ってはいけないと思い込んでいるのです。私たち人間の社会は「相互依存」で成り立っています。私たちは誰一人として、たった一人で生きていくことはできません。誰かに頼り、誰かに頼られて生きています。「自立」とは依存し合いながら生きていくという関係性(社会)の中に自らを置くことにほかなりません。
この春、レスポアールの講座や教室にもたくさんの新しいメンバーが参加します。お互いに声をかけ、「情け」をかけあって人間関係を深めていきたいと思います。

久山町文化交流センター
センター長兼図書館長 太田隆晴