あたりまえ
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 オリンピックに続き日本の選手が活躍したリオのパラリンピックも9月18日(日本時間19日)無事閉会し、次回開催地の東京都へパラリンピック旗が手渡されました。ブラジルでのオリンピック開催は、開催に反対する国民のデモや競技場建設の遅れ、伝染病など何かと不安の中での滑り出しでしたが、特段の事故も無く閉会を迎えられました。2020年に向けて準備を進める日本もエンブレム問題、競技場の設計等問題を処理しながらのスタートでしたがここにきて、さらに競技場へのアクセスなど運営に大きく影響する築地市場の豊洲への移転問題という新たな課題が生じてきました。私たちがブラジルの状況にやきもきしたように世界中の人々が日本の状況を注視しているのではないでしょうか。

 パラリンピックとは、もう一つのオリンピックという意味です。競技の内容や選手の熱意、努力を見ると障がい者のオリンピックというより、まさにもう一つのオリンピックという言い方がふさわしく感じます。1988年のソウルオリンピックの前年に「韓国親善国際交流の翼」に参加する機会がありました。軽度の障がいのある方々がボランティア活動として障がいの重い方々の海外渡航を手助けし、韓国の障がい者と交流する企画でした。当時ソウルでは、車いすに乗って町に出かけたり、白杖を持った目の不自由な人が町中を歩き回るということ自体がとても珍しいことで、障がい者が集団で町中を歩く私たちの姿は衝撃的だったようです。そのような韓国の状況のせいかオリンピック出場の夢を絶たれ半ば自暴自棄になっていた車いすの韓国青年が訪問先の施設にいました。福岡の皆さんは口々に「夢を諦めるな希望を持て」とわが子や兄弟を諭すように青年に語り掛けました。かたくなだった青年はそのうち涙ながらに福岡の皆さんと手を取り肩を抱き合い出しました。言葉の壁もなかったかのようなその光景がいまだに瞼に焼き付いています。

 障がい者やその周りの多くの人々の様々な努力のおかげでしょう。まだまだ十分ではありませんが、障がい者がそれぞれに合ったスポーツ競技を楽しむことが「あたりまえ」の社会に近づきつつあります。「あたりまえ」とは、言うまでもない分かりきったことの意味ですが、その語源は「共同作業における一人当たりの分け前(権利)」だそうです。障がい者も健常者も老いも若きもみんなが幸せに暮らせる「あたりまえの社会」を作るには、どんな状態をあたりまえと考えるかというコンセンサスづくり、そしてその状態を現実のものにするための努力(共同作業)が必要です。さらにそのことによって得られる社会的価値は、まさに一人一人が享受する権利があることを忘れてはなりません。レスポアール久山もそんな社会づくりのお役に立ちたいと考え、事業を展開しています。10月29日(土)には社会福祉協議会と「手話体験教室」を開催します。是非ご参加ください。

久山町文化交流センター
センター長兼図書館長 太田隆晴