教うるは学ぶの半ばなり
あじさい

六月は雨の多い季節です。日本の上空で北からの冷たく乾いた空気と南からの暖かく湿った空気がぶつかり合い出来るいわゆる梅雨(ばいう)前線が停滞します。梅雨は(つゆ)とも読みます。雨の多いこの時期に熟す梅の実に結び付け「梅雨(つゆ)」と呼ぶようになったようです。一方で六月は「水無月」とも言います。雨の多いこの時期を「水の無い月」とはいかにも変ですが、これにはいくつかの説があるそうです。古代から「な」は現代の「の」として使われていて「水な月」とは、「水の月」の意味であり、「な」に「無」の字を当てたことから水の無い月という誤解が生じたとする説が、私には一番納得がいきます。例えば、港(みなと)は、水の門(みなと)が語源で古事記や日本書紀では「水門」と表記されているそうです。瞳のことを目の子(まなこ)と呼ぶのも同じ使い方です。十月の「神無月」についても、全国の神様が話し合いのため出雲大社に集まるので、出雲以外の地方では神様がいなくなるという話も中世以降の後付けのようです。いずれにしても、これから当分の間梅雨の雨と付き合っていかなければなりません。
六月からは、昨年好評だったマスコミOBネット連携「レスポアール久山塾」も始まります。本年度は「世界の中の日本の暮らし」をテーマに世界の動きが私たちの暮らしにどう影響してきたかなどについて楽しく学びます。また、歴史講座も昨年の「久山の歴史」から糟屋地区の各教育委員会が協力し、それぞれの地区の特徴ある歴史を学べる「糟谷の歴史講座」をレスポアール久山が主管し開催することとなりました。昨年同様多くの皆様のご参加を心からお待ちいたします。
先日、勤労青少年ホームを会場に、隣町の篠栗町で長らくそば打ちに取り組んでおられる「篠栗そばの会」の皆さん(平尾会長をはじめ7人のメンバー)にご協力いただき「そば打ち体験教室」を実施いたしました。男女15人の参加者は、それぞれが、捏ね、伸ばし、切る体験を通して「そば打ち」の難しさや楽しさ、そして、打ち立てそばの香りと味を十分に堪能していただいたようです。私も以前そば打ちを体験いたしましたが、見た目は簡単そうでもなかなか上手く出来ませんでした。ボランティアとして指導いただいた皆さんも、納得のいく「そば」に仕上げるためにはまだまだ練習が必要だそうで「人に教えることは自分にとってもいい勉強になるんですよ」という話を伺い『教うるは学ぶの半ばなり』という言葉を思い出しました。「他人に教えることは、半分は教えている自分自身の学びになっている」という意味です。
久山の地でも郷土の歴史を自主的に学びあう「久山町歴史文化勉強会」の皆様の活動をはじめ様々な「学びあい」の取り組みがあるようです。「そば打ち」はもとより「教養」「文化」「健康」など新たな「学びあい」の人の輪が広がっていけばいいなと思います。

久山町文化交流センター
センター長兼図書館長 太田隆晴